yandyandy’s diary

心臓リハビリテーション指導士から、心臓を持つすべての人へ

当たり前

人は産まれたら知らずうちに成長して、ある年齢になったら成人となり、そして知らずうちに老いて最期の時を迎えます。

これを当たり前だと思って生きています。

これが当たり前だと思っている人が社会を作っています。

当たり前って何でしょう。

 

先天性心疾患を持っている方をSNSで探しまくって、フォローして追いかけ始めてまだ2ヶ月程度ですが、その中で少しずつ見えてきた彼、彼女達の葛藤や現実。周りと同じように出来ない、我慢しなければいけない、孤独感、不安、恐怖。まだネガティブな部分しか見えていないのですが、やはりそういうネガティブな部分をしっかり受け止めないと、闇雲にポジティブを推奨できません。ですが、私は病気なく産まれ、今までの人生で大きな病気は10日間入院した急性膵炎くらいです。そんな私が先天性心疾患を持つ人達の当たり前を理解できるのでしょうか。

『先天性心疾患を持つ女性にとって生理は、心臓に負担がかかるもの。』

最近知った事です。今まで生理なんて子宮が収縮する痛みとか、ホルモンバランスとかしか考えたことなかったのですが、確かに生理前の体液貯留を考えると心臓への負担がかかっているんです。毎月毎月、その負担を乗り越えているんです。生理休暇、絶対必要です。

 

自分の当たり前が、誰かの当たり前とは限らない。

本当にその通りだと思います。ただ、自分の価値観を変える必要はないと思います。その人にとってはそれが当たり前だから。今後の社会で多様性を謳うのであれば、まず他者の当たり前を理解する事が必要だと思います。いわゆるマイノリティ(少数派)の当たり前を知る。学校生活において、先天性心疾患を持つ子は少数派です。だから、多数派の当たり前を受け入れて溶け込みます。少数派の当たり前は当たり前ではなく「特別」になります。この「特別扱い」が先天性心疾患を持つ人、特に思春期の子ども達にとっては大きな影響を与えます。

高橋清子(2002)は,先天性心疾患をもつ思春期の子どもたちへのインタビューを通じて,子
どもたちの「病気である自分」に対する思いの中に二つの類型があることを明らかにしている。そ
のひとつは,この病気もまた「生まれつき」のものであるから,ごく「普通」に自分自身の一部で
あると受け止めるパターン。もうひとつは,生まれつきではあっても「どうして自分だけが」とい
う思いを引きずり,「病気である自分」をそのまま受け止めることができないパターンである。高
橋によれば,この二つのパターンを左右する最も大きな要因は,思春期において遭遇する他者との
関係性にある。一般に,思春期になって親からの自立を図ろうとする段階になって,周囲の人々が
その子を「特別な存在」として扱い続けると,「病気である自分」についての意識が高まり,「どう
して自分だけが」という思いに結びつきやすいという

http://file:///C:/Users/oomae/Downloads/57-1-2suzuki.2.pdf

 

この思春期からの移行期に適切な人間関係、環境が提供される社会が必要なのです。学校教育は様々な問題があって、疾患の有無に関わらず難しい時期です。

ぜひ、みなさん。この「当たり前」について考えてみてください。

あなたの当たり前は本当に当たり前ですか?